ピンクと水色

松島聡くんと高山一実さんという最高のアイドルが好き。駄文かつテンションが中学生です。

おかえりなさい。

8月12日。

 

松島聡くんが戻ってきてから、ちょうど一年。

 

何回でも言うけれど、Sexy Zoneに戻ってきてくれて、またアイドルとして活動することを決意してくれて、ありがとう。

 

今、この時点で、このようなブログを公開することについて、迷いはあったが、私は公開することに決めた。不愉快に感じた方がいれば、大変申し訳ない。

 

 この1年間、私は本当に幸せだった。

 

CDを買うことが、雑誌を買うことが、ラジオを聴くことが、テレビ番組を見ることが、こんなに楽しいなんて、今までは分かっているようでわからなかった。

 

あまりにもよく聞く言葉であるが、「当たり前」だと思っていたことが当たり前でないと気が付いた時、初めて人はその有り難さがわかるのである。そう考えると、わからないほうが幸せなのかもしれない。ただ、もう一度あの不安と後悔と自己嫌悪を経験するくらいならば、気が付かないほうが幸せと断言できるのも確かではある。

 

それでも、結果として知ることができたのだから、私は世界一幸せ、と胸を張って松島担を続けるしかない。

 

聡くんが戻ってきて一年経ったことをきっかけに、聡くんがおやすみしていたときの気持ちと、一年前の気持ち、そして今の気持ちを綴りたいと思う。夏のハイドレンジア、いい曲だよね。

 

二年ほど前からこのブログを書いているので、過去記事を遡ると、今と違うことを書いているかもしれないが、それは多めにみていただきたい。

 

忘れもしない2018年11月28日。

 

お誕生日をお祝いした翌日。

 

たまたま暇で、珍しく家にいた水曜日の午後、ベスアの放送をワクワクしながら待っていた。

 

午後四時頃だったであろうか。ぽけーっとテレビをみていた私に、家族が焦ったようにネットニュースを見せてきた。

 

松島聡、突発性パニック障害で休養

 

そんな見出しだったかのように感じる。折しもKing&Princeのメンバーが一ヶ月ほど前にほぼ同じ病名でお休みしたというニュースをきいたばかりだったため、知識としてはその病気を知っていた。

 

まず浮かんだのは、なんで、ということ。

 

次に浮かんだのは、ベスアはどうなるんだろう、ということ。

 

Twitterではオタクが、聡くんの字が綺麗だとか必死に盛り上がっていたことをよく覚えている。私も思ったよ、綺麗な字だなぁって。

 

でも現実をすぐに受け入れて切り替えられるほど私は強くなくて、ただただぼーっとSNSを眺め、始まったベスアをリアタイした。

 

はやく出番がきてほしいような、きてほしくないような、恐怖ににも似た感情を抱きながらSexy Zoneの出番を待っていた。

 

ようやく来た出番でうつったのは、泣きそうな四人の顔。そんな四人の顔は見たことがなくて、そのことに一番動揺した気もする。そして淡々と語る風磨くんの声。気遣うような翔くんの行動。

 

すごく楽しみにしていたソロパートは、一番の、しかも健人くんのすぐあとのソロパートは、風磨くんが歌った。

 

エンケンさんがいたからなんとかなったようにも思えるほど、メンバーは余裕のない表情をしていた。

 

そこでようやく聡くんがお休みしたという事実を受け入れられたような気がする。

 

その頃の私は、TVを録画するのにも親の許可が必要で、クレジットカードや携帯料金が絡む有料コンテンツは親の協力が得られなかったから、聡くんがほぼ毎日していたブログ更新が数日前にストップしたことも、ヒルナンデスの生出演が直前で変更になったことも、Twitterでなんとなく知っていたくらいであった。この情報も間違っていたら申し訳ない。それは指摘していただきたい。

 

知っていたけれど、こんなことになるなんて思いもしなかった。

 

アイドルのことを自分は盲信していたと気がついた瞬間であった。

 

私は、ぎゅっと、と、リペの間から聡くんを推し始めたから、茶の間オタクの期間の方が長いのでは、というほど、推し始めてからこの日までが、短かった。だからきっと、もっと前から、それこそあの時代を乗り越えた方と比べたら、ずっとショックは浅かったのだろう。皆様の心中を察することは到底できないが、一つだけ勝手なことを言わせていただくと、皆とても心が広く、温かく、強い方達なのだなと思っている。

 

聡くんが休業してしばらくは、雑誌にはまだ聡くんが載っていたし、カラテンの発売も控えていたから、まだ、すぐに聡くんは戻ってくるのではないかと心のどこかで期待していた。

 

それでも、歌番組で四人の姿が定番になるにつれ、乃木坂に突然ハマったり、ずっと好きだった嵐さんが休止することを知ったり、受験生になったり、いろいろあった。

 

私は、どちらかといえば単推しのきらいがあったし、とにかく精神面で幼かった。

以下、過去記事の引用。正直この記事は過去記事のまとめのような面があるが許して欲しい。

 

いつまででも待とう、そう決意したはずだった。

だけど、4人のパフォーマンスを見るたびに、雑誌を見るたびに、どうしようもなく泣きたくなった。密かに育っていた黒い感情が抑えきれず、聡くんの戻ってくる場所を守るための手伝いをしたいと思いつつも、アルバムは買えなかった。

彼の名前を4人が全く出さない理由はわかっていたけれど、それでも不安だった。4人から言えることなんてあるわけないのに、必死に彼の影を探していた。端から見たら4人グループであるかのような状態に、意味もないのにイライラしていた。Sexy Zoneのことをすきになったという人を見かけるたびに嬉しくなり、悔しくなった。

雑誌やテレビ程度しか触れていなかった私は、4人がファンしかいないところでは5人を強調していたことは知らなかった。

私がSexy Zoneを気にするようになったのは、麒麟の子からだ。その前に、極限合宿をみて、Sexy Zoneに対して抱いていたマイナスの感情を取っ払うべきだと強く思った私は、また負の感情を抱いてしまうことを恐れながらも、歌番組で麒麟の子を見た。

彼らは、Sexy ZoneであってSexy Zoneではなかった。歌番組でこんなに力強くパフォーマンスをするなんて、知らなかった。こんなにカッコいいなんて、知らなかった。

このくらいから、少しずつラジオや雑誌で聡くんの名前をSexy Zoneがあげるようになった気がする。そのこともあり、歌番組はしっかりと追うようになった。次の衝撃は、夜空ノムコウだった。私はまた、4人のパフォーマンスに圧倒された。こんな表情もできるなんて、知らなかった。極めつけにギターの話である。ギターの話で、崩れかけていた負の感情が、するするとほどけていった。その衝撃で、聡くんがおやすみしてから初めて号泣した。

でも、結局、麒麟の子は買えなかった。4人の円盤を手にする勇気がなかった。またあの感情を、まっすぐでカッコいい彼らに抱いてしまうかもしれないと思うと、恐ろしかった。でもきっと一番の理由は、お金がなかっただけだ。

 

 

聡くんが帰ってこないまま、私はなんやかんや高校を卒業し、大学に入学し、友達が連れて行ってくれるはずだったポプステは延期になった。

 

一年以上、聡くんのことを考えなかった日は一日もないと断言できる。毎日、聡くんのソロパートを聴いては好きだなと思い、受験が終わってからは、過去の映像を、雑誌を見直して、また好きだなと思い、気持ちが薄れることは決してなかった。推していたのは一年弱だというのに、好きだという気持ちが折れることのないレベルまで、その期間で育っていたのである。聡くん、すごいアイドルだな。何を今更。

 

これこそ今だから言えるのだが、四人のSexy Zoneを見るたびに不安定になりながらも、私は聡くんが戻ってこないと思っていた。何故そう思っていたかは、今となっては書く意味もないけれど、毎日、好きだという気持ちを育てながらも、聡くんが一番幸せになれる道を選んでほしい、その道はアイドルではないかもしれない、と諦めていた。 

 

考えをめぐらせてしまうのは仕方のないことだけれど、本人達の発言を待たずに勝手にマイナスの方向に考えを持って行くのは良いことではない、とわかってはいた。

 

そんな、純粋に誰かを好きだと思う気持ちと、不安と、自己嫌悪と、後悔の入り交じった日々を一年と八ヶ月半繰り返した、その日もそんな一日になる予定だった、一年前の今日。Sexy Zoneと、Sexy Zoneのファンの熱い気持ちに触発され、レーベル移行したし、と言い訳しながらも数ヶ月のバイト代がほぼすべてRUNに消えた日から数日後。

 

松島聡くんが、帰ってきた。

 

ようやく、8月12日の話である。

 

私は当時FCには入っていなかったし、17時はバイト中であったから、バイトを上がるまで、全く知らなかった。なんなら、勤務中に、聡くんの話を同僚にしていた。

 

バイトが終わってスマホを開いたとき、普段LINEやDMをしない私のわりには、やけに大量の通知が届いていた。一つを開けば、聡くん戻ってきたね!おめでとう!の文字。なにが起きたか、またもや理解できず、Twitterやネットニュースを漁り、ジャニーズnetにいけば、どうやら本当に松島聡くんが戻ってきたらしい。あまりの衝撃に口がカラカラになり、手が震えて、バックヤードでスマホが手から滑り落ちた。

 

その後のことはよく覚えていないが、退勤したその足で甘いものが苦手なのにスタバの抹茶フラペチーノを飲み、FCに入会して会費を振り込み、ジャニーズWebに登録した。 FC動画を自分の目で見てようやく、戻ってきたことを信じることができた。

 

あの日の松島聡くんは、やけに綺麗で、これが22歳かと妙な納得の仕方をした記憶がある。

 

その後すぐに聡くんの前髪かき上げにやられることになるとはつゆとも知らぬ私は、呑気に私にメッセージを送ってくれた人たちに数日かけてお礼をしていた。

 

そこからの一年はあまりにも濃くて、色鮮やかで、幸せだった。

 

聡くんのビジュが更新される喜びを、ソロパートが更新される喜びを、歌割りが増えた喜びを、歌番組で生歌を聴くことができる喜びを、ブログや生放送の番組でリアルタイムの聡くんを知ることができる喜びを、初連続ドラマ出演の喜びを、初舞台の喜びを、そしてライブで会える喜びを、いちいち噛み締めて、涙を流した。

 

何人もの素敵なセクラバさんとも出会うことができた。

 

この先なにがあるかはわからないけれど、松島聡くんを好きでいる、この瞬間が幸せである事実は決して覆されない。

 

一年前の私には想像もつかないことだけれど、今の私は、見た目が、発言が、そしてなによりも身にまとう雰囲気と表情が大人になった聡くんに、毎日ドキドキしている。

 

改めて、聡くん、アイドルになってくれてありがとう。アイドルとして戻ってきてくれてありがとう。アイドルを続けたかったと口にしてくれてありがとう。

 

松島聡くんのファンであることが、とても幸せです。